幸せは過去にならないと評価できない

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3年前、私はさだまさしの「関白宣言」を聴いてからお嫁に来た。


私ははっきり言って大和撫子とは程遠く、言いたいことははっきり言う、チャキチャキの江戸っ子タイプである(と言えば聞こえはいい)。


さだまさしの名曲「関白宣言」の出だし程度は、テレビ番組で聞いたことがあった。

 

お前を嫁に もらう前に
言っておきたい ことがある
かなりきびしい 話もするが
俺の本音を 聴いておけ


そんなもんだから、「昔の人の『関白宣言』とはどんなもんか、聞いてやるよ」なんて、場合によってはメロスもびっくりの激怒もやむなし、といった心持ちでこの歌を聴いた。

 

 

♪*♪*♪

 


結婚すれば幸せになれる、なんて思ったことはないけれど、結婚は幸せなことだ、という意識は、あったんだと思う。


末永くおしあわせに。良い家庭を築いてね。
未来に対する賛辞をたくさんもらった。


私はこの人と幸せになるんだ、自分の力で。
でも、結婚してみたら、次は出産が気になる。車が、家が、料理の腕が、生活のオシャレさが。


いつでも何かに急き立てられる。私の愛した人は、今も変わらず笑ってくれているのに。

 

人の陰口言うな聞くな
それからつまらぬシットはするな


まっさん、僕はこの世界で自分が一番幸せじゃないと気が済まない、なんて矮小でみじめな存在なんだ。

 

♪*♪*♪

 


好きな人と結婚して、可愛い子供を授かって、楽しく働いているのに、私が望んだ通りの人生のはずなのに、どうしてこんなに、いつも何か足りないんだろう。


SNSを見れば、独身の友達は海外旅行に趣味に忙しい。
子供がいない友達は、夫婦揃って外食や旅行や最新のデートスポットに出向いてる。
専業主婦の友達は、料理が凝ってて部屋が綺麗で、ガーデニングなんかしてる。
同じくワーキングマザーの友達は、子供と一緒にどこそこ行った、こんなこともできるようになった、って。

 

 

お前のお陰で いい人生だったと
俺が言うから 必ず言うから

 


あ。

 


幸せって、「点」じゃないんだ。


今私が目の当たりにしている友達の「点」の幸せは、名の通り「点」であって、一過性のもの。


その点が、日常でずっと続くなんてあり得ない。もしそうなら、それは線になって、そしてまた新たな点が欲しくなる。


「幸せになってね」なんて、そんな言葉、未来にはないんだ。
「いま、幸せだね」と、しみじみと思うような一瞬はあれど、「良い人生だったね、幸せだったね」なんていうのは、過去を振り返って、自分が歩んできた線をようやく総評する際に初めて気付くんだ。

♪*♪*♪


だから巷に溢れる、みんなのまばゆい「日常」の仮面を被った点の幸せに、惑わされることなんてない。


幸せだったね、って、過去を見ないとわからないんだから、未来に向かってあくせくしなくてもいいじゃない。


今持っている環境の中で最良だって思える選択をし続けるしか、現時点でできることなんてないのだから。


好きな人と結婚して可愛い子供がいて仕事がある。周りの友達がいい子で家族が優しい。私が望むのって、それだけじゃない。他の誰かになりたい訳じゃない。またつまらぬシットをしそうになったら、この指標に戻ってこよう。


たぶん、今の自分は「幸せだったね」の一部なんだろうから。

 

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